"備前すり鉢落としても割れぬ"とうたわれ、中世では全国に誇る特産品でした。須恵器から現在のような赤褐色に焼き締めた備前焼になったのが鎌倉時代後半からで品質の良さにより室町時代にはかめ・壺・すり鉢が全国に広がりました。
西暦
時代 形状 特徴
794
〜1191
平安時代
擂鉢は平安、奈良時代から 口縁部は細いつくりである。 この頃は単に物入れや鍋として使用見こみには櫛目はなかった。
1192〜1393
鎌倉時代
(熊山窯)
     200年
豪快な作りで器胎は肉厚で器形は深くほぼ円形であり、口縁は胴と同じ厚みで水平に切られている。
見込みの中央から上の向かって間隔を空けて7〜8のまとまった条線が撥ね上げるように入っている。

熊山付近に窯が築かれ完全な酸化焼成によって濃褐色によく焼き締まった備前焼の 誕生、壷(つぼ)、甕(かめ)、擂鉢の三種が主であった。
1394〜1444
室町初期〜
中期

     50年
口の作りと条線など器形に時代性が現れる浅く楕円の器形をしており、器胎の厚みは中期になるほど増してくる。
水の子岩の海上がりはこの時代のもの。
口縁の幅が広くなり傾斜角度がつき箆目は見られない。
鎌倉に比べて条線の目が増えてくる。
1445〜1491
室町時代
中期
(浦伊部窯)
     46年
これらは日用品として作られるため、堅く焼き締められ作りも荒々しいが、 逆にそこに無作為の良さがあり雅趣に富んでいる。 浦伊部では熊山窯に引き続いて大甕、壺、摺鉢が主に焼かれる。
1492〜1572
室町時代
末期
 80年
(山麓窯)
器胎の厚みは鎌倉より薄手。
室町初期に比べると深く丸い形である。
この時代の擂鉢は窯印が刻まれているものがある。
香登はかってかがつ(擂鉢の意味)と呼ばれ、専門の職人がいて多量生産されたことで名づけられた。

1573〜1623
桃山時代
        50年
口縁は幅広で2.3本の箆目が見られる。
又たくさんの条線がカーブしている。
室町時代末期と桃山時代の作行が同じである。
作行は朝鮮式のもので九州の古陶にも見られるもの。
1624〜1867
江戸時代
(大窯初期)   60年
(大窯中期) 120年
(大窯末期)   30年
(天保窯)      40年
全く今日の擂鉢で見込み全体で細かい条線が入った実用本位のものとなる。 初期、中期は理由は不明であるが作られず、末期の天保窯になり再登場する。

 

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